モアグレース千種ミッドステージ

利便性が高いだけでは、快適な暮らし心地は得られない。
身近に欲しいのが、豊かな癒し。
緑や静穏な空気、小洒落た飲食店、そして歴史情緒.....
一つ一つのピースが埋められた、「東区・葵」。
洗練と由緒の薫りに包まれ、
安らぎに満ちた都心暮らしを満喫できるこの街に、
「モアグレース千種ミッドステージ」誕生。
都心暮らしを、より穏やかに楽しむための
舞台が幕を開けます。

城下町の一角として
武家屋敷が集まった東区。

東区の歴史は、1610年の清須越と共にはじまります。
名古屋城の築城後、現在の白壁・代官町・黒門町・百人町などに中級・下級武士の武家屋敷が多く並び、
寺町も形成されました。
由緒正しい寺院や神社、仏閣が多く集まり、明治以降も多くの財界人・文化人がこのエリアに居を構え、
永い時を重ねながら邸宅街としての資質が受け継がれてきました。

かつて尾張徳川家の
休息の場であった葵。

城下町の一角として栄えてきた東区の中でも、「モアグレース千種ミッドステージ」のアドレスである葵には、かつて、尾張徳川家の別邸が広がっていました。1679年(延宝7年)に代官町にかかる6万4千坪の敷地に、尾張二代藩主「徳川光友」により休息の場として「御下屋敷」が設けられ、江戸の尾張藩江戸屋敷庭園と同じような造りになっていたと言われています。このように、尾張徳川家と深い繋がりがある葵の地名は、徳川家の家紋である葵の紋に由来します。

出典元:愛知県図書館所蔵 宝暦十二午改名護屋路見大図 より

名古屋城周辺から続く、
自然災害に強い安定した地盤。

東区の中で、名古屋城築城とともに城下町が形成されたエリア一帯は、名古屋駅周辺より海抜が高い地。葵エリアは海抜10〜12mとなっています。台風や大雨による水害などの影響を受けにくい強固で安定した地盤であり、安心して快適に暮らせるエリアといえます。

※実際の縮尺とは異なります。 ※海抜参照元:マピオン

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